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93歳の方が語る、昔の奥出雲。

今回お話を伺った宇田川久枝さん

こんにちは。町外ライターの清水です。
今回は、「昔の奥出雲での暮らし」を知るため、奥出雲町佐白で生まれ育った御年93歳の宇田川久枝さんにお話を伺いました。宇田川さんは、ご実家が商店をされていて、お菓子や食材、雑貨などを売っていたそうです。近所の家に嫁がれてからは、田んぼの仕事もされてきたとのこと。優しい口調で色々と教えてくださいました。

【子どもの頃の奥出雲での思い出を教えてください】
宇田川さん『今でもよく覚えているのは、おやつ代わりに野山で色々な実や草を採って食べていたことです。アケビやヤマナシ、はよく食べました。また、田んぼの脇に、シンザイ(スイバ)という酸っぱくておいしい草がたくさん生えていて、茎に塩をつけて食べていましたね。それから、ノボシと呼ばれていた草もよく採りに行っていました。これは茎の皮をむいて柔らかい穂を食べていたのですが、ほのかに甘味がしておいしかったのを思い出します。今ではよく庭先に植わっているヤマボウシも、昔は山によく自生していて、9月頃になると赤い実をつけるので食べていましたよ。また、昔はどの家にも柿・いちじく・梨などの木が植えてあって、それも子どもにとっては貴重なおやつでした。家によってはブドウやザクロがあるところもありましたね。』


ヤマボウシ


スイバ


アケビ


ヤマナシ

【ご実家がされていたお店について教えてください】
宇田川さん『食材やお菓子、生活雑貨などが置いてある商店で、今でいうスーパーのような店ですね。お菓子には、金平糖のほか、まころんという落花生を使ったものもありました。夏にはハッカ菓子のいい匂いがしたのを思い出します。あんぼうろという、あんの入った焼き菓子も。昆布やするめなどの乾物も売っていて、するめは藁で編んだものに包んでありました。よく、お百姓さんから一斗缶に入ったせんべいを頼まれ、それをリヤカーに乗せて、姉と一緒に歩いて山を越えて配達したものです。配達といえば、夏には店の名前の入ったうちわを、冬にはカレンダーを常連さんに配って回るのも手伝いましたね。ここ佐白は昔、木次街道という交通の要所で、たくさんの商売人さんが馬車に乗って行き来していました。私の実家も含めて、どの家にも馬がいたぐらい、当時は馬が大事な交通手段でした。そんな中、木次(現雲南市)のお菓子屋さんも馬車でやってきて、お菓子の注文を取りに来ていましたよ。缶の中に色々な種類のお菓子が入っているのを見せて「今度はどのお菓子を送りましょうか」などと父や母に聞いているのを、私もそばで見ていたのを覚えています。逆に、実家に住み込みで来ていたおじさんが、佐白から木次の問屋まで、炭や米などを卸しに行っていました。今でいう宅配便のようなものですね。』

【昔のお米作りについて教えてください】
宇田川さん『私は近所の家に嫁いだのですが、主人は近くの駅で駅員として働いていました。その間、私は田んぼの仕事もしていましたが、これが本当に大変で…。実家はお店だったし田んぼの経験もなかったので、苦労しながらやり方を身につけていきました。当時は今と違って小さな棚田ばかりで、牛に鍬をつけて歩かせ耕していた光景が懐かしいです。地域の女性たちが集まって『今日はうちの田植えだからみんな来てください』と順番に手伝い合う、手代わり(相互扶助)の習慣もありました。また、田んぼの肥料は堆肥でした。どの家にも肥えぐろというわらでつくった小屋のようなものがあり、そこに堆肥を貯めておいて発酵させて肥料にするのです。春に、できあがった肥料を田んぼに持って行くのも大変な仕事だったので、これも手代わりで手伝いあっていましたね。そして、田植えのときは、みんなで唄を歌いながらしていましたよ。『花は二度咲く若さは一度。若さ恋しや二度とない』という歌詞が懐かしいです。』

 

田舎で暮らしていく中で、驚きや感動はたくさんあります。特に、ご高齢の方とお話ししていると、本当に感心させられることが多いです。どんなに穏やかな方でも、背景には壮絶な人生経験があったり、不便さの中で培われた知恵や技術があったりします。それらは、便利になりはしたものの課題や不安の山積した現代社会に、少なからず活かせる要素があるのでないでしょうか。今回の宇田川さんのお話の中にも、山野草を食材として活用した知恵、有機農業が当たり前で機械化もされていない時代の田んぼなど、学ぶべき点は多いと思います。経験豊富なご高齢の方々から色々教えていただくことができ、昔ながらの原風景や自然も残る奥出雲を、是非訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

2019.10.11

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