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“地元を元気にしていきたい”

 

【プロフィール】

岡山県高梁市備中町の出身。高梁市の高校卒業後、島根リハビリテーション学院へ進学のため奥出雲町に移住。リハビリテーション学院を卒業後、奥出雲町介護老人保健施設に就職し12年目となる。定住して16年となる35歳ベテラン作業療法士さん。

高校3年までの9年間は備中神楽を習得、弓道有段(3段)、仁多乃炎太鼓(にたのほのおだいこ)メンバー、お菓子作りも得意な、頼もしいイクメンさんです!

 

 

 

  ー作業療法士を目指されたきっかけは?

 

高校1年の夏休み、8月のひと月かけて、市町村単位で行なうホームヘルパーの養成研修に参加しました。職場訪問などをさせていただいた機会に「こういう仕事もあるんだな」と思いました。そのような体験もあり、もともと高齢者分野に興味がありましたので、高齢化社会の役に立てる仕事として作業療法士となることを決意しました。

 

 

地元(岡山)の実家からの風景♪

 

 

  ー奥出雲町での生活を選んだ理由は?

 

作業療法士になるためにいくつかパンフレットを取り寄せた中から決めました。奥出雲町は地元からそう遠くもないですし、住み心地もよさそうだと思い決めました。実際、自分が生まれ育った地元は畜産が盛んな田舎でしたから、島根リハビリテーション学院のある奥出雲町での生活に抵抗はありませんでした。入学が決まると、自動車運転免許取得費用の補助もありましたのでそれも魅力でした。

 

  ーそうなんですね、では奥出雲で車の免許を取られたのですね?

 

はい。その補助を利用し自動車運転免許は奥出雲へ移住後に取得しました。移住前には原付バイクの免許を取ったので、リハビリ学院生の間は原付バイクで通学や買い物をしていました。住宅から学院やショッピングセンターまでは数キロありましたが、不便は感じませんでした。原付に積めないような大きな買い物をした時には、歩いて持ち運んだこともあります(笑)。友だちの車に乗せてもらい遊びに行くこともありましたし、地域の人も人情深く、とても居心地がよかったです。

 

  ー奥出雲での学生生活を楽しんでもらえたようでよかったです!

 

 

島根リハビリテーション学院(2月)

 

島根リハビリテーション学院に入学するにあたって、バイトをしなくてもいいようにと親からは生活費も余計に仕送りをしてもらっていました。その代わり、留年せずにちゃんと作業療法士の国家資格を取って卒業、就職するという条件のもと自分なりに頑張ってその約束を果たすことができました。

学校では周りに教え方の上手な同級生がいてくれたおかげで、なんとかついていけましたし、卒業前には小グループでの勉強会があり、自分たちでテストを作り出し合ったりして励みました。いちばん苦労したのは、長期実習で、『実習現場に迷惑をかけないように』という気持ちが強く、うまく実習を進めることが難しかったのを覚えています。先生方をはじめ本当にたくさんの方々にお世話になり感謝しています。

 

  ー努力ももちろんですが、人にも恵まれていたんですね~

  ー卒業後、奥出雲町に就職されたきっかけは?

 

リハビリ学院に入学して間もなく、太鼓を始めたのですが、4年生の上半期、その太鼓グループの大先輩から「太鼓を続ける気があるなら、ここに勤めないか?」と誘ってもらいました。それがきっかけです。ここでさらにいろいろ勉強させてもらおうと思い決めました。

就職するとさらに地域や地域の方との繋がり、ご縁が広がりました。
その後、町内在住・勤務されていた奥さまとのご縁もあり、お婿さんになりました(旧姓 高橋です)。なので、今ではしっかり奥出雲町民です!子どもにも恵まれ、それぞれの仕事に家事、育児と協力してやっています!

 

  ーかわいいお嫁さんと奥出雲でのご縁があり、よかったですね!

 

 

 

~利用者さんとの「集団体操」の時間~

 

  ー千原さんがお仕事上大切にされていることやモットーは?

 

例えば、1人で食事をしようと思っても、道具を持ってそれを口まで運べなければ食べられない。そんな作業をどうやったらできるようになるのか、考え、そのためのリハビリをしていく。できるようになって喜んでもらえるのは自分にとってもうれしい。

そんな中でも大切にしているのは、“入所された方と対等でいること”『お互い協力してよくなりたい』と思っています。病気やケガで良くない状況にあるところから、良くなるところを手伝っていき、本人が良くなったのを実感してもらった時に、最もこの仕事の喜びを感じます。

 

 

     ー今後の目標とかありますか?

 

土をいじったり農作物を育てたり、外へ出てそういった作業をすることは気持ちにも体にもとても効果的なんです。奥出雲町で働いていることを活かして、リハビリの中にも農業や、土地の風習などを取り入れながら、利用者・入所者の方々に健康と笑顔を届けていきたいです。

 

  ー千原さんの仕事に対する思い感動しました。すてきなお話をどうもありがとうございました。
      

 

  ーところで“仁多乃炎太鼓”さんには大きく影響を受けられたようですね!詳しくきかせてください。

 

入学後間もなく演奏を観る機会があり、その力強さに圧倒されました。それぞれの打つ人の表情から、太鼓に対する熱い思いが伝わってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

左が千原さん

 

 

勧誘チラシを目にしたので仁多乃炎太鼓さんの稽古場を訪れました。基礎練習を延々とされる姿に感動しました。こんな地道な練習があっての、あの大迫力の本番なんだと思いました。

素晴らしい演奏をされる仁多乃炎太鼓さん方の、全身から沸き出るエネルギーと流れる汗に心を奪われました。学院の先輩も通っていたということもあり、すぐに自分もともだちと一緒に稽古に通い始めました。

そこからは週2日の太鼓の練習にのめり込みました。練習し始めの頃は筋トレやダイエットにもなるし一石二鳥!と励んでいたら1年間で10㎏も痩せてました(笑)

 

      ーそうとうのめり込みましたね(笑)

 

舞台デビューできるまでの間は、公演の裏方として参加させてもらっていました。客席側から観る演奏とまた違って、舞台袖で観る大迫力の表情・音・声が心臓に響きました。そして客席からの拍手がとても魅力的で「いつか自分も、こんな風に舞台に立ちたい!!そして人を感動させられるような演奏がしたい!!」と強く思うようになりました。

 

 

 

 

   ー念願のデビューはいつ頃でしたか?

 

加入後半年後くらいだったでしょうか、たしか町内の自治会から依頼の公演だったと思いますが、演奏中は曲を追うことでいっぱいでした。でも初めてメンバー以外の方にも演奏を観て頂き、拍手を頂いたことに感動を覚えました。これからも続けたい、もっと練習をがんばろうと思いました。

そうして太鼓を続けられたのも太鼓メンバーに可愛がって(=いじって)もらえたから。とても居心地がよかったです。太鼓が家族という感じでした。

 

 

 

  ーかわいがってもらえる千原さんのお人柄なんだと思いますね。
   なんでも一生懸命ですばらしいですね✦✦✦

 

  ー最後に、奥出雲町の好きなところやスポットはありますか?

 

「道の駅おろちループ」からトロッコ列車を観ることです!
息子が大好きなんです!

 

 

   ーぜひ春には家族揃ってトロッコ列車『奥出雲おろち号』に乗ってくださいね(^-^)

 

 


2022.02.10

千原 憲司さん(ちはら けんじ)さん

むらかみ じゅんこ

私事ですが、数年前まで子どもが『仁多乃飛炎太鼓』のジュニア・チーム『仁多乃飛炎(ひえん)太鼓』に所属していました。当時は千原さんにはご指導等お世話になりました。千原さんはいつもニコニコされていて、子どもたちからも保護者からも「かぐらさん」の愛称で親しまれていました。神楽を長年されていただけに、太鼓を叩くときのパフォーマンスは大きくしなやかで、とてもパワフルでした!そんな千原さんをこの機会に取材させていただけよかったです。今後のご活躍期待してます!

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